フィギュアスケーターの鈴木明子選手は、仙台の東北福祉大学に進学し、一人暮らしを始めてから拒食症になってしまいました。
 
高校時代まで鈴木選手はお母さんから栄養面のサポートを受けていました。


 
「親元から離れたらダメになった」と言われるのがイヤで、大学からは自分で食事を管理するようになったのです。
 
(このコンテンツは週刊文春 2014年5/1号(Amazon)128~132ページを参考にしています)

鈴木明子選手の拒食症 身長160cmで32kgに!

「しっかりしなければ」というプレッシャーと環境の変化によるストレスから摂食障害を発症し、食べられなくなります。
 
1ヵ月半で体重が10kg落ちて38kgになり、最終的に32kgまで痩せてしまいました。身長は160cmなので、本当にガリガリだったのです。
 
スケートの指導を受けていた長久保コーチから「おかしいから一度実家に帰れ」と言われるほどやつれてしまいました。
 
名古屋に帰り、鈴木選手があまりにも静かに寝ていると、お母さんが「この子、息しているかな」と口に手を当てて呼吸を確認することが何度もありました。
 
血圧も異常に低く、脂肪も筋肉も無くなって夏でも寒さを感じていました。
 

 
すると体の防御反応か、なんと全身に産毛が生え始めます。
 
それを見たお母さんは「この子、ホントに危ないかもしれない」と心配しましたが、スケートを続けたかった鈴木選手は入院を頑なに拒否しました。
 
入院すると復帰が遅れるどころか、スケートをやめるかもしれない、と考えたのです。
 
この決意にお母さんも覚悟を決めます。




「とりあえず食べられるものを」拒食症であると認めて異例の早期回復

鈴木選手とお母さんは「点滴ではなく、とりあえず食べられるものを食べていこう」との方針を固めます。
 

 
それ以後は徐々に体重が戻り、38kgほどまで戻った時点で、長久保コーチにスケートを再開したいと話をしますが、長久保コーチは
 
「体重が40kgない子を氷の上には乗せられない。筋力がないと怪我をするから歩くことから始めなさい」
 
と鈴木選手を諭し、まずは歩く鍛錬を勧めます。
 

 
その結果、発症から半年ほどで鈴木選手はリンクに復帰します。
 
これは拒食症の回復例としては特筆すべき早さです。
 
当初鈴木選手は拒食症であることを認めませんでした。
 
しかし自ら病気であると認めてからは回復が早くなったそうです。鈴木選手の場合、自身が摂食障害であると認めたことが治るきっかけになったと言えそうです。
 
現在鈴木選手は現役を引退し、プロスケーターとして活動しています。
 
将来は振付の指導者を目指しています。