雑誌「週刊文春」に、羽生結弦さんの子供時代の記事がありました。

スケートに向き合う姿勢や独自の感性がわかります。
 
週刊文春2018年3月1日号(Amazon・PR)35~37ページから、一部を抜粋して紹介します。
 
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羽生結弦 王者のメソッド
羽生結弦 王者のメソッド

初めてのスケートで転んでも…練習は嫌いだった

羽生さんは小さい頃からすでにスケートとの相性が良かったようです。
 
スケートを始めたのは4歳の時でした。

仙台で生まれた羽生は、中学校教諭の父と、パート勤めの母、四歳上の姉との四人家族。
 
姉のレッスンに母と付き添っていったとき、初めて貸しスケート靴を履くと、リンクをいきなり駆け出したのだった。
 
転んでも、すぐに立ち上がってまた駆け出す。
 
スケート靴

羽生選手がフィギュアを始めた4歳から、小学校二年生まで指導した山田真美さんは、当時の羽生選手をこのように評しています。

「ほかのスポーツをしてもある程度のところまでいったと思います。独特の運動神経というか、動物的というか。
 
怖がるということを全くしない子で、加減がわからないから、結局何かにぶつけて骨折しちゃったり。
 
勢いつけてやってしまうみたいな感じがあって、普通はそこまでできないよなと。怖がらないことと、動きが速いこと。
 
この子もしかして、と私の勘にピンとくるものがありました」

だが当時の羽生選手は練習嫌いでした。

とにかく集中力がなかった。まるでゼロ。
 
「いい加減にしなさいよ。もうすぐ試合なんだから、ちゃんと練習しなかったらプログラムを踊ったときに形にならない」とよく言ってました。
 
のちに結弦が雑誌で「一番最初の先生が厳しすぎてスケートが嫌いになった」って話してたので、会ったときに「お願いだからやめてよ」と言ったら「ごめんなさーい」とか言ってましたね(笑い)。

練習は敬遠気味だった羽生選手ですが、スケートに必要な才能は当時から備えていたことがわかります。
 
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身につけていた”表現力”とスター性の芽

その才能とは”表現力”です。

その一方、幼い羽生には、すでに一流の”表現力”が備わっていたという。
 
「転倒して、痛かったりしますよね。その痛さの表現の仕方が、本当はそこまででもないのに、『僕は痛いの!』とアピールするタイプ。
 
怒られたときも『僕はものすごくダメージを受けてます!』というヘコんだ感じを目一杯表現する子でした」

フィギュアスケートという、個人が注目される競技に向いた感性も持っていました。

「インタビューも少女漫画のよう。
 
王子様がそのまま出てきたかのようなクサいセリフを吐いていて(笑)。
 
でも昔からなんですよ、子供の頃からクサいセリフを吐く感じで。
 
私はそういうのが嫌いで、『何言ってるの、そういうこと言う前に練習しなさい』と。
 
でも独特のあの世界がスター性のあるこの競技には必要なんじゃないかと思います。だからいい先生に巡り合えたな。
 
私のままだったら、彼のあの雰囲気は生まれなかった」
 
やっぱり彼は失敗しようが何を使用が、華がある。
 
独特のおば様キラーというか、彼の性格もあるだろうし、コーチも含めて周りに恵まれたことも含めて、いろんなことがうまくいった結果だと思います。

親族も同様の印象を受けていました。

羽生の叔母も幼い羽生に独特の感性を感じていた。
 
「(いとこ同士で遊んで)帰るときに、うちの子たちはすごくさらっとしているのに、『また来るねー』ってボロボロ泣いて帰る。
 
感受性が豊かで、気持ちが集中する子だなとは思っていました」

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