アスリートは、記録更新を意識するあまり、場合によっては限界を超えて自身の肉体を追い込みます。
 
特に女子選手は過酷なトレーニングの結果、女性特有の健康障害を起こすことがあります。

雑誌週刊新潮2015年11/26号(Amazon)に、「美談ですまない『女性アスリート』過酷の日々」という特集がありました。
 

 
ノンフィクションライター・歌代幸子さんの記事で、「勝つ」ために身体を削る女性アスリートの実態が描かれています。

大阪国際女子マラソンを途中棄権 右足ほか複数の疲労骨折

まずは、元陸上選手で現在スポーツライター・レース解説者の増田明美さんの現役時代のエピソードから。

1992年1月の大阪国際女子マラソン。現役最後に臨んだレース当日、晴れやかな笑顔でスタートを切った。だが、走り始めてまもなく、足が着地する度に痛みを覚える。
 
先頭集団についていこうと思っても、5キロの制限時間もギリギリ通過。このまま完走できるだろうか・・・と不安な思いで走っていると、痛みはだんだん増していく。
 

 
競技場ではアウトコースにシクラメンを飾り、”花道”で迎えようと観衆が待っていた。それでもゴールは叶わず、ついに15キロで制限時間を超えてしまう。
 
「どうしても最後まで走りたい!」と必死に頼んだものの、レースを中断された。
 
「翌日、病院でレントゲン検査を受けると、右足首の疲労骨折だと診断されました。
 
その数日後、MRIの検査では脚に7ヶ所の疲労骨折があると。骨密度は65歳の女性並みと言われ、ショックを受けたのです。

これほど状態が悪くなったのは、度を超えた減量が原因でした。




厳しい減量に加えて毎日30kmの走り込み

減量だけでなく、走り込みも過酷でした。

高校時代は監督の家に下宿し、毎日30キロ近く走り込みました。
 

 
3千、5千メートルは体重が少ない方が速くなるといわれ、チーズの枚数も気にして食べるほど減量に徹していました。

体重は38キロまで落ちましたが、19歳で出場した大阪女子マラソンのレースは路上で倒れ、栄養失調による貧血と診断されました。

2年半ほどは月経が止まり、体脂肪率も8%と極度に低かった。でも”生理なんて来ない方が楽”と治療も受けなかったのです。

こうして挑んだロサンゼルス五輪では途中棄権に終わります。

競技者としての重圧やケガの不安、人間関係のストレスもあったと思います。あの頃は”死にたい”と思い詰めていました…。