いきなりですが、管理人はスポーツの結果に難癖をつける人が嫌いです。
野球やサッカーの世界大会で日本代表チームが負けた際、”戦犯”などという大仰な言葉で選手や監督を攻撃する風潮は、私からすれば下劣の極です。
八百長や不正行為をしたのであれば責められても仕方ありませんが、全力を尽くした選手は結果がどうあれ労われるのが当然です。
結果論であれこれ文句を言うのはフェアではありません。
ラグビーの平尾誠二さんも、著書で似たことを指摘されています。一部を抜粋して紹介します。
(このコンテンツは「平尾誠二 名言録」120~121ページおよび192~193ページを参考にしています)
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- 「平尾誠二 名言録 人を動かす120の言葉」
プロは現場で実行し批判を浴びる 後付けで文句を言う人は無責任
平尾さんは「失敗しても、実際に実行してきた人、批判を浴びる立場に立つ人こそ、プロだろう」として、
私は評論家という人たちを信用することができない。現場に立ったことがなく、また計画を実行していくリスクも負わない。
ただ「こうすればよい、ああすればよい」と言っているだけなら、誰にでもできる。
実際に責任をとるポジションに立とうとせずに「こうすればよかった。そうすればこうなっていた」という発言をするのは、根底に善意があるにしても、現実的な重みはもたず、無責任とさえ思える。
スポーツだけではありません。
これはグラウンドの中だけに限らず、ビジネスの場面にもいえることだ。
現場にも出ず、結果に対して責任もとらず、結果分析だけして自分の存在を示すような上司にだけは、私はなりたくない。
失敗しても、実際に実行してきた人、批判を浴びる立場に立つ人こそ、プロだろう。
結果が出てからあれこれ言うのは誰にでもできます。
やる前から結果がわかっている人間なんていない。信じることをするしかない。
批判というのは、みんな「あと出し」だ。失敗したり、うまくいかなかった時、メディアをはじめとする世の中はこう言って批判する。
「ほら見ろ、あの時こうしておけばよかったんだ。どうしてしなかったんだ」
そんなふうにあとから文句を言うのは誰にでもできる。
でも、やる前から結果がわかっている人間なんていない。信じることをするしかない。そして、結果さえ出れば、風向きは180度変わっていく。