スポーツではしばしばルールが変更されます。

それも競技の適正を高めるためといった理由ではなく、特定の勢力(人種)を有利にするために変更されるのです。
 

 
高山正之さんが雑誌「週刊新潮」のコラム「変見自在」で、水泳のルール変更について言及されています。
 
一部を抜粋して紹介します。
 
(このコンテンツは雑誌週刊新潮 2021年1/14号142ページを参考にしています)

水泳(勝てなくなったら)ルール変更の歴史

そもそもオリンピックは本来”万人”のためのイベントではなかったそうです。

クーベルタンの近代五輪や「容姿の美しい白人の躍動美」を誇る祭典にするもつもりだった。
 
しかし走りも跳躍も黒人が制し、今はジャマイカ辺りから足の速い黒人を買い付ける羽目に陥っている。
 

 
で、黒人には不向きな水泳を五輪に入れた。我が世の春と思ったら、今度は山中毅が出てきた。

その後はご存じのとおり「日本人が勝った技法」をことごとく禁止していったのです。

コンラッズが何とか抑え込んだら古川勝と田口信教がヘンな平泳ぎで優勝をさらった。
 
白人は怒り、国際水連が即座に古川の潜水泳法も田口のドルフィンキック風の泳ぎも禁じ、今の「常に体のどこかが出ていなければいけない」ルールに変更した。
 
鈴木大地が背泳にバサロ泳法を入れて優勝するとそれもすぐ制限した。
 
美しい白人の祭典だ。みっともない日本人は無理に勝つことはないのだと。
 
それでも北島康介は出るわ瀬戸大也は出るわ。彼らはその辺の不思議が理解できなかった。