前ページ「野村忠宏選手 天理大細川監督から「取り組みが甘い」指摘・五輪二連覇後の悩み」からの続きです。
 
オリンピックを2連覇し、引退も考えた野村忠宏選手ですが、引退を発表してしまうと、後戻りはできません。加えて、周囲は「三連覇」への期待を高めていきます。

マスコミも次のオリンピックについて質問するようになっていました。
 
(このコンテンツは週刊文春 2016年1/7号(Amazon)142~145ページを参考にしています)

米国留学 五輪再挑戦へ 意識の変化

悩んだ野村選手はこの環境から一旦離れて考えをまとめるべく、海外行きを決意します。
 
所属していたミキハウスの理解と援助を得て、奥さんと一年間サンフランシスコに留学し、視野を広げて人生の岐路について考えることにしたのです。
 

 
この環境の変化は野村選手の心身を解放し、良い作用をもたらしましたが、同時に「このままでいいのか」という葛藤も与えました。
 
語学学校は夕方に終わるため、自由時間は多かったのですが、そういう楽しいだけの生活が段々と虚しくなってきたのです。
 
目標に向けての努力は苦しいが、生きている実感を得られる。五輪三連覇を狙えるのは、二連覇した者だけ。
 
そうした気持ちが徐々に強くなり、
 
「二年間のブランクは大きいが、自分なら何とかなる。やらないと後悔する」
 
と考えが固まりました。
 
留学の予定を二ヶ月短縮し、早めに帰国して「アテネで三連覇を目指す」と宣言します。

ブランク後の野村選手に恩師「練習中に笑っている」前人未到の五輪三連覇へ

しかし二年間のブランクは想像以上に大きく、二つの試合で惨敗してしまいます。年齢を重ねたことから疲労の溜まり方、抜け方が以前と変わり、小さなケガが増えるようになりました。
 
このスランプ乗り越えるきっかけを与えたのは、やはり恩師の一言でした。
 

 
ある日、細川監督が「試合や練習の合間に笑顔(わらいがお)が出るようになった」と指摘します。ブランクを言い訳にし、真剣さや勝つことへの意識の緩みが表情に出ていたようです。
 
それ以来、野村選手は「二回負けたら三回負けても一緒、それなら泥臭くても思い切りやろう」と気持ちを切り替えます。
 
その結果、アテネ五輪への切符を手にし、本番では前人未到の三連覇を達成するのです。
 
この五輪の前にも、父・基次さんは野村選手に手紙を送っています。

世界一に成るには世界一の厳しい精神力・努力が必要ですが、いま忠宏は心技体共に充実した立派な柔道家であると自信を持って誇りに思っています

膝のケガで四度目の五輪出場かなわず

野村選手は北京五輪も目指しましたが、膝のケガで本来の柔道ができず、代表選考試合で敗れてしまいます。
 
ケガの状態は改善せず、その後の日本実業柔道個人選手権大会で野村選手は引退します。
 
五輪三連覇の大偉業を残した野村選手の言葉です。

豊徳館は兄が継ぎますが全国どの道場も運営は厳しいですね。
 
これからは、人生を拓いてくれた道場、そして柔道に貢献できるような活動をしていきたいと思っています

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