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野村忠宏さんは天理高校進学の直前に、父・基次さん(天理高校柔道部監督)から意外なことを言われました。
天理高校でのスタイル変更についても紹介します。
(このコンテンツは週刊文春 2016年1/7号(Amazon)142~145ページを参考にしています)
父・基次さんの意外な言葉 その結果野村選手は?
その言葉とは
「無理して柔道を続けんでもええぞ」
道場の息子として気負いは無用、という意味だったのでしょうが、これは野村さんにとってショックでした。
というのも、西日本二位だったお兄さんにかけた「人の三倍努力する覚悟で来い」という言葉とはあまりにも違ったからです。
野村さんへの”辞めたければ辞めろ”と言わんばかりの言葉には、”期待”や”見込み”といったものは微塵も感じられません。
しかしこれはかえって野村さんの反骨心を煽り、中学の卒業文集には「一撃必殺 背負い投げ」と書きました。
90年4月、野村さんは天理高校に入学します。柔道部が掲げるのは高校日本一。ここで野村さんは、自身の柔道スタイルそのものの見直しを余儀なくされます。
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天理高校では「動いて翻弄」から組む柔道へ「相手を感じる力」
天理高校が教える柔道は、「しっかり組んで一本を取る」。
しかし身体が小さく、非力だった野村さんは、それでは勝てないと考えます。組んで相手を動かそうにも崩せませんし、力でも負けてしまいます。
それなら素早く動いて相手を翻弄し、技をかける。それを”自分の柔道”としたのです。これは「いかに勝つか」を考えての行動であり、それで実際に結果を出していました。
しかし二年生になって、柔道部の副部長だった基次さんから呼び出され、こう忠告を受けます。
いまだけ勝つ選手でいいならそうすればいい。でも、本物のチャンピオンになりたいなら、小手先の柔道はやめろ。
今は勝てなくてもいいから組む柔道をしろ。
これは腕力ではなく、全身を使えという教えでした。組むことは、単に「相手を崩す」ためだけのものではなく、
・相手の力を感じる
・自分の力を相手に伝える
・相手が次にどう動くかを感じる
ためのものでもあります。
やみくもに動いても相手を感じる力は養われません。組んで相手に身体を預けつつ、自分も次の動作に移る。力を入れるだけではなく抜くことも大事なのです。
基次さんがこうしたアドバイスをするのは珍しく、野村さんは反発を感じながらも、嬉しかったそうです。自分の柔道を基次さんがどう見ているのかが理解でき、「剛と柔」の意味を考えるきっかけとなりました。
野村さんは「あの小手先の柔道を続けていたらいまの僕は存在していない」とまで考えています。
父・基次さんまたも激怒 野村選手の闘争心の欠如に…
スタイルを進化させつつあった野村選手ですが、それだけで実績を残せるほど甘くはありませんでした。
高校三年生で出場した、高校最後の全国大会となるインターハイでは予選リーグで負けてしまいます。
一方、20歳以下の選手による「全日本ジュニア」では全国大会に進みます。しかし、この一回戦での野村選手の戦い方を見た基次さんは激怒します。
「おまえ、こんな闘志のない柔道するんやったら帰れ!」
基次さんは、野村選手の”勝てないだろう”という、闘争心を欠いた姿勢を見逃さなかったのです。野村さんは基次さんに謝って試合を続け、この大会で準優勝します。
高校を卒業し、野村選手は大学に進学します。そこで野村選手は人生を変えたと言っても過言ではない、恩師と出会うことになります。
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