若くして頭角を表すスポーツ選手は、多くの場合家族の献身的なサポートを受けています。
 
女子サッカー日本代表のレジェンド・澤穂希選手も例外ではありません。
 

 
選手として成長していく過程には、母・満壽子さんの教えとサポートは欠かせないものでした。

(このコンテンツは、PHPのびのび子育て増刊 子どもが伸びるコーチング2012年 03月号(PR・Amazon)20~21ページを参考にしています)

満壽子さんが幼少期の澤選手に教えたこと

小さい頃の澤選手は、活発で好奇心の強い子供でした。リーダーシップもありましたが、とにかく前へ出る、というタイプではなく、一歩下がって仲間を押し上げるという面もありました。
 
そんな澤選手に満壽子さんが小さい頃から教えてきたのは、「赤ちゃんのいるお母さんやお年寄りには席を譲ろうね」など、周りを思う大切さです。

 

”女子選手第一号”として東京のクラブチームに所属

澤選手がサッカーを始めたのは6歳の時。
 
お兄さんが練習してるのをうらやましそうに見ていたら、コーチから「蹴ってみる?」と誘われたのがきっかけでした。
 
初めてのキックでゴールを決めたうれしさからか、以後サッカーにはまっていきます。
 

 
小学2年生の時、東京のクラブチームに入団願を出しますが、「女の子を入れた歴史がない」と一旦は断られます。
 
しかし満壽子さんはあきらめず、「スポーツに男も女もないはず。歴史がないのならうちの娘で作って下さい!」と直訴。ようやく入団が認められました。
 
当然のことながら澤選手はチームで唯一の女の子でしたが、そんなことは関係なく練習を重ね、実力をつけていきます。
 
お兄さんの試合に途中から出場し、ゴールを決めて勝ったこともあります。
 
こうした経験から、サッカーを続ける思いが強くなっていったのでしょう。

本物に触れさせ 一流を目指す

満壽子さんは、子供の「やりたい!」「楽しい!」という気持ちを最優先にしてきました。親の価値観を押しつけることはしません。
 
やりたいことを全力でバックアップする代わりに、「やるなら一流を目指せ」と言ってきました。
 
本物志向も貫いてきました。物を買うにしても、本物を買うのです。
 

 
澤選手が小学校に上がる前、「こんなのが欲しい」とラグビーボールの絵を描いた時も、少し無理をして本革製のものを買い与えました。
 
「本物に触れることでしか本物の良さは分からない。偽物も見分けられない」という信念からです。そのボールは今でも大切に飾ってあります。

澤選手に伝えた言葉

今でこそ女子サッカーは一般的になりましたが、当時は女の子がサッカーをするのは珍しい時代でした。
 
好奇の目で見られ、「女の子なのに?」などと言われることも多かったようです。
 
しかし澤選手はそんなことでは全く動じませんでした。
 

 
満壽子さんは日頃からネガティブな発言はしませんでしたし、本当に強くなるには、そのくらいでは動じない強い気持ちがないといけない、という思いが澤選手に伝わっていたのでしょう。
 
ただし、「我慢しなくてもよい」と教えていたこともあります。
 
それは「相手から決してやってはならないことをされたとき」です。
 
ある試合で、相手チームの男の子に暴言を吐かれ、スパイクを蹴られたときは、さすがに澤選手も本気で相手を追いかけたそうです。
 
悔しい気持ちを抱えて帰宅した澤選手に、満壽子さんはこう言いました。

将来、「あのときの澤穂希という女の子は、あれからもずっとサッカーを続けて、世界的な選手になりました」と胸を張れるように頑張りなさい。

澤選手の顔がパッと明るくなりました。そしてそれを目指し、以後はさらにサッカーに没頭していきます。




身体が資本 コンディション維持の教え

もうひとつ、満壽子さんが常に強調していることに”健康第一”があります。
 
これを子供が自分で意識し、実行できるよう、このように声をかけてきました。

体を大切にしてこそ好きなことに打ち込めるし、美味しいものも食べられる。
 
でも、もし身体を壊したらどうなる?そうならないためにはどうすればいいと思う?
 

W杯6回出場の偉業は、満壽子さんにより教えられた、コンディション維持への高い意識があったからなのは間違いないでしょう。
 
 
澤選手率いるなでしこジャパンは2011年、ワールドカップで優勝を果たし、澤選手はMVPに輝きます。満壽子さんと共に目指した「世界的な選手になる」を現実のものとするのです。