世の中には「大誤審」と呼ばれるものは数多くありますが、日本人にとって忘れられない誤審のひとつは、2000年シドニーオリンピック男子100kg超級柔道における判定ではないでしょうか。
これまでに何度もテレビで取り上げられ、その判定の是非が何度も論じられてきました。
しかし、当事者である篠原選手が試合中どんなことを考えていたのか、ということはあまり知られていないのではないでしょうか。
雑誌「週刊新潮」に、この試合における、篠原選手の内心についての記事がありました。以下に一部抜粋して紹介致します。
内股すかしで一本!のはずが…”有効”を自分のポイントと勘違い
ご記憶の向きも多いだろう。2000年、シドニーオリンピック、男子100キロ超級の決勝戦。試合開始から1分30秒過ぎ、対戦相手のフランス代表ダビド・ドゥイエが仕掛けてきた内股を、篠原は内股すかしで返した。するとドゥイエは一回転―――。
篠原は語る。「絶対一本だと確信しました。なのに審判が有効というから”なんでやねん”と。その有効を、僕は自分のものだと思い込んで・・・」
現実は違った。有効がドゥイエについていることに気付いたのは、疑惑の判定から約30秒後。「待て」がかかったときに、斉藤仁コーチがこう叫んだのだ。
「信一、お前がポイント取られているんだよ!」
ものすごい動揺ですよ。”なにを間違えてるんや、はよ間違いに気付け!審判!”と。気付けば、訂正されることもあるんでね。
この思いだけが頭の中を占めた。そんな状態で試合を続けているうちに、5分の試合時間の半分が過ぎていた。「焦りまくった」と篠原は言う。
早く巻き返さなければ、相手の体勢を十分崩さないうちに技をかけようとする。当然、技は決まらない。
国内試合だったら、同じ状況でも”もう一丁投げるか”と余裕で対処できるんですが、このオリンピックでは勝手が違いました。シドニーを最後に引退しようと心に決めていたからです。この試合に賭けていたので、余計に焦りました。
当時、篠原は27歳。今回が金メダルを狙える最後のチャンスと思っていた。
もうひとつのミス ポイントの勘違いから焦り
気がはやる篠原は、もう一つミスを犯している。ドゥイエが途中、注意をとられてポイントは並んでいた。それに気付かなかったのだ。
もし試合中に気づいていれば、気持ちを立て直して、違った結果が出ていたかもしれません。
試合終了まで積極的に仕掛けるが、残り45秒で内股をかけにいったところを返され、有効をとられる。これが致命傷になった。
日本国内、誤審、誤審の大コールとなっていたが、篠原には、誤審への恨みなどは生まれなかったという。
どうしてあのとき冷静になって、もう一度相手を投げてやろうと思えなかったのか。切り替えができなかった自分が悔しくて、ただただ泣いていました。
篠原は柔道の創始者、嘉納治五郎の名を口にした。
先生はいかなる困難も冷静に乗り越えられる人間をつくるために柔道を始められたはずなのに、心技体の技と体にだけ気を取られて、心は未熟だったんです。
オリンピックの舞台には魔物がいると言われますよね。でもいないです。いるのは弱い自分だけ。
心が弱かったから負けたんです。
新潮の記事ここまで。
明らかな誤審がきっかけで平常心を乱されるとは、篠原選手にとってなんとも不運ですが、金メダルを取るにはそれでも動じない心が必要だったということでしょうか。
このコンテンツは雑誌週刊新潮2014年10/16号148~149ページを参考にしました。