極度のスランプに陥った杉山さんは、お母さんに相談します。

引退も考えるほど追い込まれていたのです。
 
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果たしてお母さんは何と答えたのでしょうか?
 
(このコンテンツは雑誌 週刊現代2014年6/7号78~80ページを参考にしています)

お母さんが杉山さんに聞いたこと

テニス人生で初めて「やめたい」ともらした杉山愛さんに対し、杉山さんのお母さんは「やり切ったの?」と聞きました。
 
「今やり切らなかったら、今後何をやっても嫌なことがあるとやめちゃうわよ」 激励をこめた母の叱責に、杉山さんは目が覚めます。
 
その後二人は、テニスを通して与えられる試練を一つずつ乗り越えて、精神的に成長することがトップへの近道になる、といったことを話し合いました。
 

 
それからはお母さんをコーチに、頂点を目指して練習の日々。
 
スランプから三年後、アリゾナ州スコッツデールの「ステートファーム・クラシック」で優勝を成し遂げます。
 
二人がやってきたことは正しかったと証明されたのです。
 
杉山さんが子供の頃から、自宅の階段の踊り場にはウインブルドン・センターコートのポスターが貼ってあります。
 
いつもそれを見ていた杉山さんは、「いつかここで戦えたら」と思っていました。
 
そして2000年、杉山さんはその夢を実現させます。

ウィンブルドンのセンターコートに初めて立ったときは鳥肌が立ちました。
 
ウワァーッという歓声の中をフカフカの芝を歩いてコートに入るんですけど、今まで信じて頑張って来て良かったなって頭の中では考えていました。

来季へのイメージが浮かばなかった09年

現役時代の杉山さんは、毎年夏頃から来シーズンのツアーのプランを考えていました。
 
しかし09年の夏は、これまでと違っていました。
 
来期へのイメージが全く浮かばなかったのです。
 
そのとき、精神的にも肉体的にも限界だな、と悟ったそうです。引退を決意し、お母さんにも報告しました。
 

 
世界を転戦してきた杉山さんですが、最後は日本で終わりたいと強く考えていたため、引退セレモニーは日本テニスの聖地、有明コロシアムを選びました。
 
一緒に戦ってきた仲間や応援してくれた日本のテニスファンが見守る中でのセレモニーは格別で、杉山さんは「自分は本当に幸せ者だ」と感謝の気持ちでいっぱいでした。
 
2009年10月、34歳で杉山選手は引退します。


 
杉山さんが小さい頃から様々な運動・スポーツに親しんでいたエピソードを紹介しました。
 
杉山さんがテニスで実績を残せたのは、テニスの練習を重ねたのはもちろん、幼少期に多様な運動を経験し、運動神経を発達させたことも大きいのではないでしょうか。
 

 
スポーツで大成させるためには、ひとつの競技だけでなく、いろいろなスポーツを経験させるほうがよい、とはしばしば指摘されます。
 
ゴルフのように特殊と言える動作が必要な競技でも、海外のトッププレーヤーは学生時代は複数のスポーツを経験している例が少なくありません。
 
それにより、思わぬスポーツに対する才能を発見するかもしれません。