前ページ・山本昌投手 長い現役生活を支えた”小さな努力” ダンベルで手首を鍛えるからの続きです。

このページでは、山本昌投手が、自身の代名詞「スクリューボール」を習得するきっかけになったエピソードを紹介します。

当時の山本投手は、戦力外通告される直前だったのですが・・・。

このコンテンツは週刊文春 2016年1/7号(Amazon・PR)176~180ページを参考にしています。

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戦力外寸前で米国へ野球留学 そこで出会った方の指導で…

阿川 練習が辛くてやめたいと思ったこととかは?
 
山本 これまで一度もないです。今回だって「辞めなきゃ」であって「辞めたい」ではないんですね。
 
ただ、高校に上がったときはレベルの違いにカルチャーショックは受けましたけど。
 
阿川 プロに入ったときと比べても?
 
山本 このときの驚きがあったので、プロは予想の範囲でした。
 
阿川 そんなもんなんですか。山本さんって高校時代、甲子園には・・・。
 
山本 出場できてないです。
 
あくまで神奈川の左投手では一番いいよ、くらいのレベルで、高校卒業後は推薦で大学に行くつもりだったんですね。
 
阿川 ドラフト五位でドラゴンズに入団されて。
 
山本 でも、入団しても最初の数年は鳴かず飛ばずでした。何年目かのオフには整理対象選手になってますんで。
 
阿川 それは戦力外ということ?
 
山本 その可能性があったんです。なんとか五年目にオープン戦の開幕投手になれたんですが、一回でKOされて信頼を失って・・・。
 
当時ドラゴンズの一軍はキャンプのあと、フロリダまでキャンプに行ってたんですね。首脳陣から「フロリダへ行きたいか」と聞かれたので「はい」と答えると「そのかわり十一月までいろ」と。
 
阿川 どういう意味ですか?
 
山本 戦力じゃないから、向こうで勉強してこいと。今年こそはという思いがあったので、かなりショックでしたね。
 
でも、そこでアイク生原さんという方に出会うんです。
 
阿川 日系人の方ですか?
 
山本 いや、アイクというのは愛称で、生原昭宏さんという日本人の方です。
 
元々大学野球の指導者だったんですが、さらに上の指導法を学ぶために単身渡米して、ドジャースの会長補佐にまでなるんです。
 
日本人選手がアメリカに野球留学する際はほぼアイクさんが窓口になってくださったんですよ。
 
そのアイクさんがとにかく熱く指導してくださいまして。
 
阿川 鍛えがいのある生徒が来たぞという気持ちだったんでしょうね。
 
山本 おそらく(笑)。そのうちに「おまえには新しいボールが必要だ」と言われ、スクリューという球種を覚えるんですね。
 
阿川 山本さんの代名詞ですね。
 
山本 はい。遊びで握りを覚えて、いきなり試合で投げたら空振りを取れたんです。
 
もし日本でそんなことをしたら、コーチから「ちゃんと練習してない球を試合で投げるな」と怒られてたと思うんです。
 
阿川 アメリカだから投げられたと。
 
山本 そこで自信がついたおかげで、アメリカでも活躍しまして夏に日本に呼び戻されるんです。
 
そこから五勝できたんですね。今まで日本の一軍では一勝も出来てなかったのに。
 
阿川 成長の証を見せられたんですね。
 
山本 それはやっぱり出会いなんですよ。アイクさんが口酸っぱく「覚えろ」と言って下さったから。
 
僕は出会いに関してすごく恵まれていたと思う。
 
次のページに続きます。

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