一般に適度なスポーツは健康をサポートしてくれますが、世界大会で成績を残すほどのレベルでは、むしろ身体を壊してしまうケースも珍しくありません。
人体の耐久性を超えるほどの激しい練習と試合を続けなくてはいけないからです。
プロテニスプレーヤーの伊達公子さんが、雑誌「週刊文春」の阿川佐和子さんとの対談記事で、自身の体験を語られていました。
伊達さんも故障に悩まされ、引退を余儀なくされたそうです。記事の一部を抜粋して紹介します。
(「週刊文春」2018年2月15日号(Amazon)120~124ページを参考にしました)
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スポーツは体に悪い?引退の原因となった膝の故障
阿川 これまで一流のアスリートの方に会ってきましたが、怪我のない人はほとんどいないんですね。スポーツってホントは身体に悪いんじゃない?って思うんですけど(笑)。
伊達 悪いと思いますよ。ある程度の域を超えると、身体にいいというレベルではなくなりますから。
阿川 今回、伊達さんのこれまでのインタビューを読み直して思ったのは、「プロとは何ですか?」という問いがあったとしたら、「身体がもう無理と言ってるのにやる人」なんじゃないかと。だって身体は何べんも「無理だ」って叫んでるわけでしょ。
伊達 そうなんですけど、聞きたくない。聞こえないふりをする習性がついているんです(笑)。シーズン中は風邪もひきませんし。それが先日引退した途端、数年ぶりに高熱が出ちゃって。
阿川 「いまならひいていいかも」って風邪が思ったんじゃない(笑)。そして今回の引退ですが、ズバリ理由は何ですか。
伊達 う~ん。(沈黙)
阿川 じゃあ、やめることを意識し始めたのはいつ頃からなんでしょう。
伊達 復帰して最初の三、四年はまったくありませんでした。その間に怪我もありましたけど、筋肉系の怪我は時間をかければ修復しますから。
ただ、2014年の後半に滑液包炎という太股の外側に激痛が走る症状が出て、ちょっと歯車が狂ってきました。この三、四年は常にどこかが痛い状況で。最終的に膝がドッカーンと。
阿川 半月板でしたっけ?
伊達 15年の秋に腫れがひかなくなってたんですね。無理をして翌年一月の前号オープンに出場したものの、全豪の女医さんには「あなた、まだやるって言ってるの?自分の年齢を考えなさい」って言われちゃって号泣しましたね。泣きながらもそのときは、来年も絶対全豪に出てやると思ったんですけど、夢叶わず。
阿川 負けず嫌いだなあ。
伊達 その前に日本のスポーツドクターにも「現在は半月版の部分断裂だけど、全豪でプレーしたら完全断裂になるよ」と忠告されてたんですね。案の定、試合後にMRIを撮ったら完全断裂していまして。それで手術を決意したんです。以前は身体にメスを入れるのは絶対に嫌だったんですが・・・。
阿川 それがどうして手術を?
伊達 それしか選択肢がなかった。要は手術しないとテニスはもちろん、そのほかのスポーツも生涯できないと言われたんです。今後一切スポーツができないのは、何よりも苦痛だった。私からスポーツを奪わないで、って気持ちでしたね。
阿川 写真を拝見しましたけど、手術のあとは車椅子生活でしたよね。
伊達 手術自体も一回のはずが、半月板だけでなく軟骨もダメで二回やったんですね。で、足を地面に着けられない生活が二ヶ月くらい、試合に復帰できるまでは一年かかりました。それが去年の春ですね。
阿川 そこから具体的に引退という決断に至ったのは・・・?
伊達 膝が百%には戻らない中で、同時に肩の痛みも出始めたんです。これまでだったらケアすれば治まっていたのが、悪化する一方で。痛みを押して試合に出たら別のところも悪くなる悪循環でした。上半身の怪我だけなら足でカバーすればいいやと思えるんですが、もう両方でしたから。最後はステロイド漬けで。
阿川 それは痛み止め?
伊達 打つと嘘のようにスーッと痛みが消えるのが一、二ヶ月は持続するんです。身体には良くないけど、先生も「もう最後だから」って。それでも結局七月にアメリカで数試合やって、もう肩が全然ダメだなと思って決断しました。
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