雑誌月刊バスケットボール2015年04月号(PR・Amazon)に、ステフィン・カリー選手の記事がありました。

ポイントを要約して紹介します。

アスリート家庭に生まれるも 体格には恵まれなかった

カリー選手が生まれたのは1988年3月14日、米国オハイオ州アクロンです。
 
父親はシャーロット・ホーネッツ(現ニューオーリンズ・ペリカンズ)などで活躍したデル・カリー。母親のソーニャさんは学生時代にバレーボールとバスケットボールで活躍する、身体能力に優れた女性でした。
 
アスリートのDNAを受けついだカリー選手は幼くしてバスケットボールに自然と親しむようになります。
 

 
初めてNBAの試合に連れて行かれたのは、なんと生後2週間の時。自宅の裏庭には屋外コートがあり、幼少時代の多くの時間をここで過ごします。
 
”バスケットボール界のサラブレッド”と呼べるカリー選手でしたが、その才能が開花するまでには時間がかかりました。
 
シャーロット・クリスチャン高に進学した時、身長は163cm、体重は54kg。相手チームから「おい、子供が混ざってるぞ!」とヤジが飛ぶほど小柄だったのです。
 
加えてシュートフォームは、腰のあたりから放り投げるような、不格好なものでした。当時、彼が傑出した選手になると予想した人は皆無だったかもしれません。

父のアドバイスでシュートフォームを改善

高校2年のシーズン後、そんな彼に転機が訪れます。
 
NBAを引退してクリスチャン高のアシスタントコーチに就任した父親のデルが、シュートフォームの改善をアドバイスするのです。
 
その夏カリー選手は自らのフォームを一度壊し、正しい打ち方を身につけるべく練習を重ねます。
 
最初は3Pラインからリングまでボールが届かないほど弱々しいシュートでした。
 
それが夏が終わる頃には正しいフォームを修得し、アーチの高い美しいシュートへと変わっていきました。
 

無名校で大活躍

カリー選手の成長と共にクリスチャン高の成績も上がっていきますが、残念ながら州のタイトル獲得は逃してしまいます。
 
そのためカリー選手に対する大学のスカウトの評価は低く、結局強豪大学からのオファーはありませんでした。
 

 
希望していた父の母校・バージニア工科大学を諦め、デビッドソン大学へ進学します。
 
同大学はお世辞にも強豪とは言えない、小規模な大学ですが、それがかえってカリー選手に活躍の場を与えます。
 
主力として出場機会を増やし、日に日に存在感を増していくのです。1年目にして平均21.5得点を記録し、3P成功数ではNCAAの1年生記録となる113本をマークするのです。

2年生でさらに才能が開花

カリー選手を一躍スターダムに押し上げたのは、大学2年の時のNCCAAトーナメントでした。
 
第10シードのデビッドソン大学は、初戦でゴンザガ大と対戦します。
 
苦戦を強いられますが、カリー選手が後半だけで30得点を挙げ、82対76で逆転勝利を収めます。
 
2回戦の相手は、第2シードの強豪・ジョージタウン大学。
 
デビッドソン大は一時17点リードされますが、またもカリー選手が後半だけで25点をたたき出します。そして4Qの終盤に逆転して4点差で勝利。
 

 
3回戦ではウィスコンシン大に快勝し、デビッドソン大は全米ベスト8まで勝ち進みます。ベスト4をかけたカンザス大との対戦では、57対59で惜敗しますが、「今年の主役は、間違いなくステフィンだった」との評判は決して少なくありませんでした。

ついにNBAへ

09年にカリー選手は、ドラフト一巡目7位でゴールデンステイト・ウォーリャーズに入団します。
 
出身大学の知名度から考えると、これは異例の上位指名と言えます。
 
その時点でカリー選手の体格は身長191cm、体重は75kgとかなりの痩せ型でした。しかしスターターとして起用され、平均17.5得点の実績を残します。

右足首のケガに悩まされるもリハビリでさらに飛躍

しかしその後は右足首のケガに悩まされます。
 
11年の5月に手術を受けるも、11年・12年のシーズンはケガの影響で40試合を欠場してしまいます。12年4月には、同じ箇所を再び手術することに。
 
2シーズンのオフ期間をリハビリに充てることになりましたが、これは結果的にその後の活躍を支える期間にもなりました。
 
再びプレーするため、カリー選手は綿密なスケジュールを立て、じっくりとリハビリ、トレーニングに励んだのです。
 

復帰してからの大活躍

ケガから復帰した12年、13年のシーズン、カリー選手はNBAで大旋風を巻き起こします。
 
ニューヨーク・ニックス戦ではキャリアハイの54得点をマーク。
 
試合では常に大量得点を連発し、272本の歴代最多3P成功記録を打ち立てます。シーズン平均得点は22.9、平均アシストは6.9を記録してチームは6年ぶりにプレーオフに進出します。
 
13年、14年シーズンは相手チームから徹底マークを受けますが、それでは、と周りを活かすプレーに切り替えて平均8.5アシスト(リーグ5位)をマーク。シュートだけが武器ではないことを証明します。
 

 
ずば抜けたシュート力を持ちながらも、カリー選手はPGとして司令塔も務めています。
 
これが一般的なシューターと違う点で、うつシチュエーションを自ら作り出すことができるのです。
 
仲間にスクリーンをかけてもらってキャッチ&シュートというよりは、厳しいマークに遭いながらも変幻自在のドリブルでかわし、少しでも空いたらクイックリリースでシュートを決めるスタイルで、NBAのスター選手としての地位を確立しています。