バドミントンダブルスの高橋礼華・松友美佐紀の両選手、ペアタカマツペアは2016年のリオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得しました。
 
雑誌「バトミントンマガジン」2016年10月号に、タカマツペアへのインタビュー記事がありました。

二人が決勝戦で考えていたことを要約して紹介します。
 
(このコンテンツはバトミントンマガジン2016年10月16~17ページを参考にしています)

高橋礼華・松友美佐紀選手のインタビュー

◆試合前の心境は?
 
松友 これまでの活動でいろんな人にお世話になったので、最高のプレーをして恩返しがしたかったです。
 
あとはテレビで見てくれる人が「強かった、面白かった」と思ってくれるような試合をしようと考えていました。
 
◆しかし第1ゲームは18-21で取られてしまいます 松友選手の動きが良くないように見えた理由は?
 
松友 最初は緊張していて、簡単に引いてしまったのが理由です。自分が相手をどう動かすかという前に、相手がノリノリになってしまいました。
 
明確なレシーブができず、”ただ返すだけ”になっていたのです
 
高橋 私としては、松友の緊張はそのうち落ち着くと考えていました。それよりも私が勝ちたいあまりに、打ちに行きすぎてしまいました。攻め急いでしまったのです。
 
◆とはいえ、第2ゲームは速い段階でリードを広げました。(21-9)
 
高橋 1ゲームは取られましたが焦りはなく、第2ゲームを取り返せばいいと考えていました。
 
攻め急がないようにと注意しましたし、相手のスピードは第2ゲームからきっと落ちると考えていたので、その時に自分たちがスピードアップすればいいと思っていました。
 

 
◆運命を決めたファイナルゲームでの心境を教えて下さい。
 
高橋 第2ゲームの途中から、相手の足を動かして疲れさせてからが勝負と考えていました。ファイナルでも相手にしっかりついていけば大丈夫、リードされても1点差をキープできればいい、と思っていました。
 
◆実際に11-10とインターバルまでラリーの続く手に汗握る接戦でした。
 
松友 私はあのファイナルは純粋に楽しんでいました。勝ちたい気持ちはありましたが、それよりもラリーが楽しかったんですよ。
 
実はスコアもあまり気にしてなくて、いつのまにか動いていたな、という感覚です。
 
相手がネットにからむ球を打ってきたので、「この場面でその球を打てるのはすごい!」って素直に感心してました(笑)。
 
◆メディアに何度もとりあげられた16-19の場面はどうでしょうか
 
高橋 あまり覚えていないのですが、その場面では女子レスリングの伊調さんの逆転勝ちを思い出して、何か起こるかも、とは考えていました。
 
◆5連続得点で”いける”と思いませんでしたか?
 
高橋 19オールで”いけるかも”、と思いましたが、それ以降ははっきり覚えていないです。
 
◆松友選手はどうでしょうか?
 
松友 16-19のラリーで、私がネット前に落としてポイントを奪ったのが印象に残っています。あれで相手の足が止まったので、それから前で勝負を仕掛けました。
 
あとは18点目を取ったクロススマッシュ。狙って打ちましたが、まさかあんなにキレイに決まるとは(笑)。
 
◆確かにあのクロスは目が覚める切れ味でした。高橋選手は印象に残っているプレーはありますか?
 
高橋 私も松友のクロスは印象に残っています。あれで私も”攻めていくしかない”と思いました。
 
私は19-19のラリーで、いつもなら届かない厳しい球が届いたんですよ。あれは自分でもよく取れたなと思います。相手がそこから引いたので、また攻めるぞって思いました。
 

 
◆では最後に、オリンピックの金メダルを手にしたことをあらためて振り返って下さい。
 
松友 4年前は勝てなかった相手にこんな試合ができて、しかも金メダルを手にできたのは夢みたいだなって思います。
 
でも、私たちは本当に誰よりも練習してきたし、それだけの自信を持って戦ってきたので、やっぱり、頑張ってきてよかったと思います。
 
高橋 4年前はロンドン五輪に出られなくて悔しい気持ちが強く、代表の先輩たちがメダルを取ったときも、やっぱり悔しい気持ちがありました。
 
4年の間には世界選手権で勝てなかったり、ケガもしましたがそれが経験となったのは間違いないし、ここまでたどり着いたのは”2人がメダルを取る”という部分でブレなかったから。
 
松友がいうように、世界を相手に勝つのは簡単ではなかったですし、不安もありました。
 
そんな私たちが、まさか君が代を聞けるとは思わなかったし、日の丸を掲げられるとは思いませんでした。
 
頑張ってきて本当に良かったです。
 
 
このコンテンツで紹介したのは記事の一部の要約です。
 
さらに詳しくはバトミントンマガジン2016年10月を参考にして下さい。

※バドミントンマガジンの記事とは別のインタビュー映像です