雑誌「週刊ポスト」に、「スポーツ史上最驚の”大逆転・大番狂わせ”」という特集がありました。

その中に、1964年10月14日に駒沢陸上競技場で行われた、東京五輪男子サッカーグループリーグ第1戦、日本VSアルゼンチンの記事もあります。


この試合は日本がアルゼンチンに奇跡の逆転勝ちするという大番狂わせになりました。
 
その様子を、選手として出場していた釜本邦茂さんが証言されています。
 

 
以下に抜粋して紹介します。

マスコミは「ベルリンの奇跡以来の快挙」と報じ、ドイツから招聘したクレマーコーチも「君たちは日本のサッカーの歴史を作った」と大喜びした。確かに当時、優勝候補だったアルゼンチンに3対2で逆転勝ちするなんて誰も考えていなかったわけですからね。
 
大会前、ヨーロッパサッカーはクレマーコーチの影響で学習していましたが、アルゼンチンのような個人技に優れた南米サッカーには勝てるはずがないと思っていた。
 
案の定、試合が始まると、ボールの支配力が違った。前半24分、アルゼンチンに先制ゴールを決められ、サッカーをさせてもらえている感じが全くしなかった。
 
とにかくボールをキープできず、パスもつながらない。個人の技術差は歴然でした。
 
ところが、後半9分に杉山隆一さんがドリブルシュートで同点ゴールを決める。その8分後にアルゼンチンに2点目を決められますが、私のクロスから川渕三郎さんがヘディングシュートを決め、再び追いつくことができた。
 

 
その時、私の感覚は”追いつくので精一杯”というものでした。残り時間が10分以上あったので、また突き放されるんじゃないかという不安がありましたね。
 
ところが、この同点ゴールでアルゼンチンの選手たちが明らかに気落ちしたのです。ピッチ上の私にもよくわかった。
 
「1点でも勝てる」と思っていた相手に2点も入れられてショックだったのでしょう。
 
そこをたたみかけて1分後に小城得達さんのゴールで勝ち越し。そこから、試合終了までの7~8分はとても長く感じられました。
 
この東京五輪ではラッキーもあり、日本と1次リーグで同組だったイタリアのメンバーにプロ選手がいて、規程違反で棄権。結果、日本は、グループリーグを1勝1敗の2位でベスト8に進出します。
 
東京五輪で確かな実績を残した自信が、日本サッカーのメキシコ五輪銅メダル、私自身の同大会得点王をつながったと思っています。

このコンテンツは雑誌週刊ポスト2016年11月18日号(Amazon)16ページより抜粋しました。