大谷選手にとって、これまでの人生で一番大事だった期間は小学生時代なのだそうです。

しかし実はその時代に感じていたのは「悔しさ」だったようで…
 
スポーツジャーナリスト・石田雄太さんの著書「野球翔年1」に、大谷選手が小学生時代を回顧する内容がありました。
 
同書の40~42ページから、一部を抜粋して紹介します。

わんぱく小学生時代の大谷選手 優勝は経験できずとも「最も大事な時期」

小学生時代の大谷選手はわんぱくでした。

大谷が野球を始めたのは、小学2年のとき。社会人野球でもプレーしていた父の徹さんに連れられて、リトルリーグの門を叩いた。
 
当時、岩手県の水沢リトルリーグで事務局長を務めていた浅利昭治さんがこう話す。
 
「翔平はヒョロッとした子で、背もみんなより少し大きいくらいでした。小学校に軟式のスポーツ少年団があるのに、一人で硬式のリトルリーグに来るなんて勇気ある子だなと思いました。
 
足が速くて肩が強くて、マイペースで無口で、そのくせわんぱくでね。私たち、春に福島の相馬で合宿してたんですけど、あるとき、一人、海に落ちたって報告があって、私、すぐに翔平かって聞きました。そしたら、そうですって(苦笑)。
 
牛若丸みたいにポンポンとテトラポッドを飛んでいるうちに、滑って海ヘジャッポーンと落ちたらしい。
 
危ないから行くなって言っても行くんですよ、あの子は…」

そんな小学生時代は、大谷選手にとっても最も貴重な期間でした。

実は大谷に、今の自分を作る上でもっとも大事だった時期はいつだと思うか訊ねた。
 
すると、すぐに「小学校の頃です」という答えが返ってきた。
 
「リトルのとき、初めて全国大会へ出場できました。その目標のために練習をやってきて、それを達成したときは、今までで一番と言っていいくらい嬉しかったんです。

練習を必死にやり、自宅でも常に野球を意識するよう心がけています。
 
しかし小学生の大谷選手は優勝を経験できませんでした。

「5年生のときには準優勝、6年生のときはベスト4だったんですけど、あのときの負けは今でも思い出します。
 
すごく悔しい思いをして、次は優勝してやろうという気持ちで頑張れましたし、そういう悔しい経験がないとそういう思いもできないんだということを知ることができました。
 
最後の一年は本当に必死で練習しましたし、家の中ではずっとボールとバットを持ってました。
 
野球のことがちょっと頭にあるだけで全然違うと思ったので、常にボールを上に投げてみたり、バットを握ってみたり、何か野球につながることがないかと探していたんです」

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