雑誌「週刊文春」に、競歩・山西利和選手のインタビュー記事がありました。
ちょっと昔の記事ですが一部を抜粋して紹介します。
((Amazon・PR)週刊文春2019年12/26号145~149ページを参考にしています)
競歩は学問に通じる 動きの精度と効率を高める
山西選手は競歩を学問と結びつけています。
山西は、競歩には大学時代に学んだ工学に通底するものがあると考えている。
「人類は世の中で起きる現象を説明するために、物理学や神の存在といった考えや概念などを持ち出すわけです。ぼくがやっていることも、それと同じだと思う」
…というのは?
「競歩という切り口で、目的地に速く進むにはどうしたらいいか。その目的関数に対して、自分の身体をどのように表現すればいいのか、ぼくは追求しているわけです」
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競歩は動作に制約が多く、高い精度・技術が求められます。
競歩は目的地に到達する早さを競うスポーツ。だが、ただ速ければいいというわけではない。
つねに両足のどちらかが地面に接し、また前足が接地の瞬間から地面と垂直になるまでひざを伸ばした歩型が求められる。
このルールに違反すると、失格となる恐れがある。
「つまり競歩では動作に制約がかかっているので、動きの精度がスピードに直接影響する。
ですから効率のいい動きをしなければならず、無駄も排除しなければいけない。長距離走と比べると、シンプルな身体能力が占める割合が若干小さく、技術の占める割合がより大きいわけです」
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小柄な体格も「競技に有利」反則する選手をどう思う?今後の目標は
山西選手は小柄ですが、それを本人は競技においてメリットになるとしています。
山西は身長164cmと小柄だが、それはハンデになるどころか、アドバンテージになると考えている。
「長い道具より、短い道具のほうが操作性は上がりますからね」
進路と同じく、すべては考えかた次第。厳しい制約があるからこそ、技術や発想が大きな意味を持ってくる。こうした競歩の特性に、彼は魅了されているのだ。
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競歩では選手のフォーム違反がしばしば指摘されます。
そんな選手に対しては…
質の高い歩型を持ち、再現力にも優れる山西は、この競技では数少ない失格未経験者。
レース中、ルールに違反したフォームで進む選手が目に入るときもあるが、それはそれとして割り切っている。
「ルールは守らなければいけませんが、自分が完璧であればルールから外れた汚い選手にも勝てるはず。ぼくはそうしたレベルを目指している。
中途半端にごまかすような選手に負けるようではダメなんです」
山西選手が見据える今後の目標はこのようなものです。
理想の競歩に突き進む山西にとって、東京五輪の金メダルはあくまで直近の目標に過ぎない。
「僕はその先も見据えています。東京で一度勝つのではなく、いつも勝ち続けるレベルに到達したい」
そのために目指すのは、競歩の制約下で完璧に身体をコントロールするということ。
「完璧はありえませんが、フォームの完成度を限りなく100に近づけ、その中での振れ幅を限りなくゼロに近づけるということ。
それを言葉にすると、”美しい”とか”無駄がない”という表現になる。そうした領域へのアプローチを楽しみたい。楽しむというより、入り込んでいきたいというべきかな」
山西選手は2021年8月の東京五輪20km競歩で銅メダル、2022年7月の世界陸上男子20km競歩では金メダルを獲得しています。