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「週刊新潮」2015年11月26日号に掲載された歌代幸子さんの記事から、女性アスリートの過酷な節制の実態を紹介します。
 
今回はフィギュアスケーター・鈴木明子さんのエピソードです。

「医師には『30キロを切ったら入院』と強く言われましたが、入院したら二度とスケートには戻れないと思ったのです。それでも食事を取れないまま体重は32キロまで落ちてしまい、絶望にうちひしがれました」
 
彼女(鈴木選手)には「摂食障害」に苦しんだ”過去”があった。
 
フィギュアを始めたのは6歳の頃だが、体重維持がプレッシャーになったのは愛知県豊橋市の実家を離れ、東北福祉大学へ進学した後のこと。仙台を拠点とする長久保裕コーチに師事し、一人暮らしを始めてからだ。
 
「自分で管理しなければと思うと、完璧にやろうという気持ちが強すぎて」と振り返る鈴木さん。肉類は食べず、油も極力使わない。野菜や大豆製品中心にベジタリアンの食生活だった。
 
さらに、摂食障害のきっかけは、17歳でクロアチアでの国際大会に出場した時。
 
帰りの乗り継ぎでドイツの空港に降りた際、コーチに勧められてステーキを口にした数分後―――。
 
「それまでお肉を避けていたので胃がびっくりしたのか、腹痛と吐き気を催して、激しい嘔吐に苦しみました。
 
帰国後も何も喉を通らぬ日が続き、体重を計ると、48キロ以下にならなかった体重が数キロ減っていた。練習していても身体が軽く、調子が良いように感じたのです」
 
もう少し痩せたらもっと楽なのかな・・・と、その勘違いが、選手生命をも脅かす大事につながっていく。
 
「その後も食欲はあまりわかず、40キロを切った時にはもう手遅れでした。自分の意思で食事をコントロールできず、お腹がすく感覚はあっても、何を食べたらいいのかわからない。食事が怖くなったのです」
 
苦悩の中、実家へ戻ると、病院で摂食障害と診断された。そこで医師に言われたのが先の一言だ。
 
体重は32キロまで落ちた。鈴木さんの身長は160センチ。これでは、スポーツどころか日常生活にすら支障をきたすほどの痩せ方である。
 
それでもリンクへ戻りたい一念が、病気を克服する力となった。野菜、豆腐と少しずつ食べられるものを増やし、半年後に大学へ。
 
40キロまで戻したところで練習を許された。
 
栄養指導を受けながら地道に「肉体改造」を続けると筋肉の質も変わり、3年で完治した。
 
 
しかし、選手復帰後も、オリンピックを目指して身体を追い込む中で体脂肪が減り、体脂肪率は一時5%を切るほどだった。
 
 
試合シーズン中は無月経というサイクルが引退まで続いたと鈴木さんは言う。
 
「フィギュアでは、身体が軽い方がジャンプを軽々跳べ、細いほど空気抵抗がないので回転も速くなります。でも女性の身体に成長する過程で丸みをおびると、小さい頃にできていた技が出来なくなり、体重が増えると足に負担がかかりケガをしやすい。
 
そこで食事に気遣わなければいけないのに、選手は痩せたいばかりにダイエットの情報などに惑わされがち。
 
私も苦しい時期はあったけれど、その先に幸せな競技生活が待っていた。健康あってのスポーツだから、自分の身体に目を向けてほしいのです」
 
 
次のページでは、女子体操の菅原リサさんのエピソードを紹介します。